2012年05月25日

 はじめに 〜主催者からのメッセージ〜

 あなたはいつも、誰かに向かって話をしていませんか? 話は通じるかな、聞いてもらえているかな、と無意識に考えつつ、相手の反応を確かめながら話していませんか? 独り言は別として、自分が他人との間で言葉を発する時、多くの人は誰かに向かって話をしています。一対一の時はその相手に。複数での時は自分以外の皆や、もしくは誰か特定の人に。大勢の聴衆の前では、大勢の人全体に届くように。そして、それらは無意識に観察し判断しながら行われているので、自覚の有無はあるにせよ自然にその場の雰囲気に相応しい言葉や話し方を選択してしまい、本来話そうとしていたことから少しずつ変化して言葉を続けていることも少なくありません。もしくはなんとか伝えたいことを達成しようと、話している最中でも様々な表現方法を模索しながら言葉を続けることもあるでしょう。それらの行為は、私達が生まれてから当たり前のスキルとして身に着けた、普段疑うまでもなく取り入れているものです。そして、それ以外の方法で他人の前で話すことは、現代社会の中ではなかなか行われることはありません。

 あなたはいつも、誰かの話を聞くときに、返事や相槌や頷きを無意識に用意して聞いてませんか? 例えば話し手の目を見つめながら、ちょうど良い、言葉と言葉が途切れる相手のタイミングをみて、うんうんと相槌を打っていませんか。例えば目を閉じて相手の話を聞きながら、でも聞いていますよというシグナルを無意識で届けてあげたくて、とてもナチュラルに、うなずくことをしてあげていませんか。 じっくりと、その人の話が終わるまで聞いてあげたいなと心から思っていながら、気づけばついつい、あ、そのことはこんな風に考えられるな、私ならこういう返事を言ってあげられるかも、と自分の思いが浮かんできて、返答を考え始めながら聞き続けてしまったり。もしくは相手の話へ早く返答や反論がしたくてしたくてウズウズしはじめ、途中からは向こうの話がいつ途切れるかが関心ごととなり、ここだ、というタイミングを逃さず、かつ相手の心象を損ねないように図りながら話し始めてしまっていたり。 

 あなたはいつも、誰かとの会話や対面の最中、ふとした時に訪れてしまう沈黙に無意識に怯えてしまってはいませんか? 自分がひとしきり話し終え、誰かが程度の良い間をもって返事や感想を発してくれないとき、ついついまた何かを話しはじめてしまったり、もしくは誰かにそれとなく話題を振ってしまったりしてしまうこと。 相手が何かを話し終えて、自分もそれなりに相槌を打ち、もしくは返事を済ませた後に、誰も言葉が続かずによくわからない変な空気が広がり、ついつい誰か(もしくは自分)が口を開いてくれることを待ったり、テーブルの飲み物に手を伸ばしてしまうこと、よくありませんか。 コミュニケーション中の会話の際に、話題と話題の合間に幾ばくかの沈黙が訪れることは決してまれではありません。しかし私達は、どうしてかその沈黙の時間を気にせずに通り過ぎることができません。その時間は1分でも、いやいや30秒でも、それどころか10秒でさえも、また誰かが話すのを待ってしまうか、別の行動(飲食に手を伸ばしたり、背伸びをしたり)をとったりして、沈黙の空気を散らそうと何かしらの気づかぬ努力を行ってしまいます。

 私達は、本当に無意識的に、こうした会話、こうしたコミュニケーションを日常的に、何の不満もなく取り入れています。 それはもしかしたら省みるところもなく、疑う必要もないのかもしれません。 しかし、ふと立ち止まって見つめ直してみる、そんな時間があるとしたら。 はたして、相手の反応をできるだけ気にせずに自分の内側の声だけに耳を澄ませ、出てくる言葉というものはどんなものか。 あるいは、相手が話す言葉への表面的な反応をできるだけ意識せずに、ただただその人から生まれる言葉に耳を傾けてみる。そうして自分に届いた言葉はどんなものか。 もしくは、何も話されないような時間がしばらく続くときに起こる沈黙が、自分自身に起こす反応はいったいどのようなものか。 そんな光景に、そんな時間に、もし興味が沸いた方がいましたら、是非このワークショップに足を運んでみてください。


雑草屋 小松学 




posted by こまつまなぶ at 00:00| Comment(0) | ご案内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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